私たちの起源と進化
江戸時代の石造職人衆
「石勝」
江戸の開府のために、徳川家康の命によって全国から集められた職人衆。石勝エクステリアという風変わりな社名は、その職人衆のなかでも際立った存在であった「石屋の勝五郎」に起源があります。
江戸の中村家により、1706年(宝永3年)に創業された「石勝」は、たび重なる江戸城の石普請に加わり、明治初年には青山警視庁墓地(現青山墓地)の開設に貢献しました。以降、大正にかけて多くの石造建造物に、その業を揮ったことで知られています。今日でも、「青山・石勝ヲ刻ム」と印された記念碑や神社の石像美術品など、全国至るところで石勝が手がけた建造物に出会えます。これらの作品の数々は、「天下の石勝」と称される一級の技術を誇った石勝の歴史を雄弁に物語っています。

石勝マークについて
江戸の中村家により、1706年(宝永3年)に創業された「石勝」。
その翌年に発生した富士山噴火の様子から、石勝の屋号「一富士」(富士山を表す「△」と噴火を表す「一」を組み合わせた形)が生まれました。石勝マークは、この「一富士」を左に90度回転し、
「ISHI KATSU」のイニシャルIKとしてデザインしたものです。

景観10年、風景100年、
風土1000年
時代は変わって、その技は造園技術へと進化していきました。石勝エクステリアが伝統と技術の双方を社風に備えているわけは、こうした数世紀にまたがる文化を背景に持っているからにほかなりません。
私たちは、人間を含めたすべての生きものにとって重要な「緑」「水」「土」の自然資源を基盤とした造園こそ、経済と環境が調和する社会へ貢献できる職域であり、職能であると確信しています。「景観10年、風景100年、風土1000年」を造園の哲学と考え、まず景観を整え、その景観が人と共生しながら風景として土地になじんでいく。やがて人の営みが深まり、歴史と文化が育まれて風土を形成していく。そんな時の流れを願って、さまざまな環境緑化の取り組みを進めています。景観・風景・風土を次世代に残していくことが、私たちの使命なのです。
根底にある「里山」
の考え方
私たちが理想としているのは、人と自然が共生する「里山」の考え方です。里山とは、人間の手が届かない「奥山」の手前につくられた二次的自然域のことです。古来より人が手をかけることで形成・維持されてきた里山は、恒常的に生態系サービスが受けられる自立循環型のシステムであり、自然の恵みを最大限に活用するために日本人が考えた「しつらえ」といえます。
企業スローガン「みどりとともに」も、石勝エクステリアの緑化技術を支える「連鎖植生とその維持育成」という思想も、すべては里山を生み出した先人たちの深い知恵と謙虚な姿勢に立脚しています。私たちが手がける事業には、いつも「里山の原風景」が理想として広がっているのです。

連鎖植生とその維持
育成
私たちの幅広い事業を支える独自の緑化技術は、環境共生に配慮した植生と、それを次世代へ継承していく「連鎖植生とその維持育成」という考え方に基づいています。
「連鎖植生」は空間に着目した考え方で、都市部から郊外へと至る「みどりの連鎖」により、人と共生した美しい景観をつくり出すことをさします。一方の「維持育成」は時間に着目した考え方で、景観価値を高めながら自然の循環を促し、地域の環境を永続的に守り育んでいくことをさします。空間と時間の二軸を大切にすることで、その土地の記憶や人の営みが次世代へと普遍的に受け継がれ、みどりあふれる豊かな環境の創造につながります。

エコロジカルネットワークの形成
(点在する緑地や水辺などをつなげ、
生物多様性を守る仕組み)
造園から「環境緑化
サービス」へ
地球上では、気候変動や生物多様性の損失、貧困や不平等など、さまざまな社会課題が深刻化しています。なかでも環境課題への対応は、今や国や地域の枠を超えて取り組むべき喫緊のテーマです。世界が「持続可能な開発目標(SDGs)」の実現に向けて歩みを進めるなか、私たちに求められる役割もまた、単なる造園や緑化の枠を超え、地球と人の未来を「ともにつくる」という新たな使命へと広がっています。
私たちは、自然環境だけでなく、生活環境も含めたウェルビーイングを実現するために、事業領域の幅をさらに広げ、これまで培ってきた技術力と提案力を「環境緑化サービス」へと高めていきます。自然が有する多面的効果をさまざまな社会課題の解決に活用するグリーンインフラの普及と実践を通じて、豊かな未来づくりに取り組みます。



